TAKUYA∞(ミュージシャン)

 

1979年12月21日生まれ。滋賀県出身。 

SONY MUSIC RECORDS所属、UVERworldのボーカル。

2005年に「D-tecnoLife」でメジャーデビュー。

UVERworldでは作詞・作曲も担当している。

代表曲として「SHAMROCK」「君の好きなうた」「CORE PRIDE」等がある 

 

——では今からUVERworldのボーカルのTAKUYA∞さんへインタビューをしたいと思います。

 

 よろしくお願いします。

 

——(仙谷氏:FM滋賀DJ)さあ、今澤森君から紹介がありましたけどもね。TAKUYA∞君にお手伝いいただいて皆さんの授業を進めていきたいと思います。最初に実行員のメンバーに「なぜ、UVERworldのTAKUYA∞君にきていただいたのか」という事を是非、教えてほしいと思います。

 

 TAKUYA∞さんが造る曲とかメンバーさんのメロディーだとかがものすごく好きで、それも最初は全く知らないところから曲だけ聴いて良い人たちだなと思って、そこから自分のその時の心境と重なる部分も多くあって、それで今日、そんな曲を作っている人に二十歳の人、自分たちも二十歳なのですけども、どんなふうに過ごしていたのかを聞きたくてお手紙を送らせていただきました。

 

 ありがとうございます。

 

——ちょっと緊張しています。

 

 一緒、一緒。

 

——僕も今日映画を見させていただいて、高校生頃を振り返って今まで本気でぶつかったものがなくて、今日のこの企画でも失敗もほんと多くて、そういう中でTAKUYA∞さんも失敗したこともあったと思うのですけど、二十歳のころ何があったかを聞けたら嬉しいなと。

 

——(仙谷氏)もう質問ですね。まず、せっかくですから今日の限られた時間の中で一緒に過ごしていくので、すぐには名前を憶えられないかとは思うのですが、一人ずつ、年齢と名前を自己紹介していただければと。

 

——僕は2回生のゼミ長をしています。澤森です。特技はモノマネをします。

 

 じゃあ、後でしてもらおうかな。

 

——今日は個人個人、相談事があると思うので、それをTAKUYA∞さんへぶつけていければと思います。

 

 お願いします。

 

——神家です。初めてこの企画で手紙を送らせていただきました。特技は人間観察が好きで、人の癖とかを見るのが好きでずっとそんなことをしています。

 

——2回生の横山です。将来の夢は、幼稚園の先生か、保育園の先生です。小さい子供に携わる事の出来る仕事がしたいです。よろしくお願いします。

 

 いいですね。

 

——2回生のふなびきゆかです。好きなことはスポーツをすることで、今ラクロスをしています。

 

 いいですね、ラクロス。今、うちの社長がラクロスやりたいなって言っていましたね。後ろにいる黒いのがうちの社長です。後でラクロスの事も質問しようかな。

 

——2回生のまつたにえりです。小学校の先生を目指しています。2回生の淵岡です。踊る事が好きです。

 

ダンス?

 

——ダンスです。

 

——2回生の福森です。将来の夢は幼稚園の先生になる事です。よろしくお願いします。

 

——2回生の藤元です。特技はバレーボールです。よろしくお願いします。

 

——2回生の細川です。特技はサッカーです。よろしくお願いします。

 

——2回生の嶋田です。特技はサッカーで、もう呼んでもらえないと思うのですが、「みっくん」って呼んでください。よろしくお願いします。

 

——2回生の和田です。特技というか趣味でラップを作るのが好きです。

 

——3回生の阿江といいます。特技はバレーボールで今日の映画でUVERworldをとてもファンになりました。よろしくお願いします。

 

 ありがとう。

 

——3回生の浅越です。夢は教員で、この前試験終わりました。以上です。

 

——4回生のゼミ長をやらせてもらっています鬼頭です。特技はモノマネです。

 

——4回生の前田です。夢は一応小学校教員なのですけども、迷っているというか、そんなこと相談できたらといいなと思っています。よろしくお願いします。

 

——4回生の松下といいます。将来の夢は地方公務員になることです。3週間後に試験があります。

 

 頑張ってください。

 

——ありがとうございます。

 

——3回生の小川です。将来の夢は小学校の先生になることで、母校に戻れたらなと思っています。今はキャンプリーダーになっていて、キャンプばかりしています。よろしくお願いします。

 

——3回生の岩垣です。将来の夢は小学校の先生になる事です。その、小学校の先生になって、TAKUYA∞さんの様にいろんなことを、メッセージを残せる人になりたいです。よろしくお願いします。

 

——(仙谷氏)さあ、17名の皆さまが、それぞれの思いを語ってくれました。

 

 熱いですねみなさん。

 

——(仙谷氏)皆さんの想いを限られた時間の中で、聞いてもらいたいと思うので、じゃあ最初に戻って聞きたいことがある人?

 

——曲とか歌詞を聴いていてすごく思うのですけども、僕らといろいろリンクするというか、重なる部分が。自分たちと一緒で経験したことも多いと思うのですが、そういう中で、自分が一番印象に残ったことや、もちろん歌もそうですが、それ以外に打ち込んだものがあれば教えてください。

 

歌以外に打ち込んだこと?

 

——歌ももちろんですけど。それ以外はありますか。

 

 ちょうど、二十歳のころUVERworldを結成して、それまでの間というのは、だらだらと音楽にしがみついていて、中学のころにギターを始めて、で、高校の頃はドラムで、自分がドラマーでバンドを組んだり。それ以上さかのぼると、中学の頃はバスケットボールのプロの選手に憧れていて、背がちっちゃかったので、ガードでプロをめざしていたりする時期もあったりだとか、でも熱くなれたのがバスケとギターで、二十歳のころからはずっと歌です。

 

——(仙谷氏)今は自分の中で熱くなっているものはあるの?

 

——僕自身、熱くはまだなっていないのですけど、来年、友達同士でバンドみたいなものをやってみようかなと。友達とちょっと。今、最近ベースを始めていて、友達に教えてもらっています。

 

 うちの信人もベースで、ベースは、あいつは中学くらいから始めていて、触ってない時期がずいぶん長くて二十歳、同じ年から始めて、UVERworldの結成から始めてその頃には楽譜も読めなくなっていて、もうほんと素人同然からはじめて頑張っていますよ。

 

——(仙谷氏)やっぱり打ち込めるものを早く見つけると、そのゴールにも早くたどり着けると思うしね。みんなも打ち込めるもの、ちなみに自分の目標を明確にして、そこに向かっているの?

 

——そのことについてTAKUYA∞さんに聞きたいことがあるのですけれども。僕、高校の頃に、演劇の高校に行っていて、舞台役者を目指していたのですよ。それで、まぁ中学生の頃までは、学芸会でちょっとちやほやされるレベルで、楽しいからこれを職業に出来ていければいいと思っているのですが、高校に入って演劇をしていたのですけども、やっぱり役者になりたい人ばかりが集まっていて、で、小さい時から劇の勉強をしていて、映画にもあったじゃないですか?あの、その小さい時から始めてきた奴と、高校から始めたやつの周りとのレベルの差があって、すごく落ち込んで、まぁ過去にやっとけばよかったなとか思い、結局、担任の先生に流されるまま、学校の先生のいているとこでなんですけど、ダメもとでA.O.で受けてみろよと流されるままここに来て、で、結局ネットでボイスドラマとか趣味でやっていて、そこでもやっぱりその、声優を目指している子たちもいて、レベルの差を感じていて、無理やなぁみたいなを思っていて、ちょうど僕も二十の頃からグダグダしている状態なのですが、TAKUYA∞さん二十の時にUVERworld結成されてその時の心境っていうか、これからやっていくきっかけになったことがあったら教えてほしいです。

 

 あぁ、本当にこう、自分のことを知りすぎている部分があって、それこそ二十歳で歌を始めた時には右を見ても、左を見ても自分よりうまい人たちばかりで、到底自分たちに勝ち目が無いと思っていて、何かこう、歌が一番うまい人を探せばオペラ歌手とかそんな人に譲ればいいと俺は思っていて、何かそこじゃない情熱みたいなもので、少なくともこの…自分が二十歳の時、バンドを始めた時に、何か俺の心を動かした憧れの先輩とかもやっぱりいたわけで、俺はやっぱりその、今ステージに立っていて、もう何千人もの人たちの前でメッセージする前はやっぱりそのオーディエンスと一緒にそのー、大好きなアーティストを追っかけている時代がやっぱり十年ぐらいあったから、その時に俺が一番勉強になったのが、歌が一番うまいなんてその、技術的な事じゃなくて俺の心を動かしたのはやっぱりこの人らの「情熱」っていうものを感じて、俺はそこで「あぁ、いい歌だな」と思わずにやっぱり「あの人を抜きたい」って気持ちでやっぱり音楽をやってこられたような気もするし、だから時々ファンの人たちに問いかけるのは「お前らはどういうつもりで俺たちのライブを観に来ているのだ」みたいな事を問いかけたりしてやっぱりその常に今、自分の心が折れそうになるとき、それこそメジャーとかいったらとんでもないうまい人たちがいる中でやっていくからもうほんとにもう情熱で勝ち取るというか少なくとも今、まぁファンクラブの人だったりとか、何万人かいる人たちっていうのは、俺のテクニックじゃなくて俺の情熱で何かこう動いてくれたっていう風におれは信じているし、これからもそういう風にまぁ自分の熱いパッションみたいなものをやっていこうと思うから、きっとまぁ俺はこん中でもやっぱ発言してくる時とかの目とかが全然違うし、ラップも聴いてみたいなとかも思うよ。

 

——ありがとうございます。

 

——(仙谷氏)心折れずに。自分よりうまい人がいるからこそ「ここで頑張るのだ」という気持ちでまず何か見つけることが大切。

 

 俺も同じような悩みを抱えているし、未だに、それこそなんか、すごく高いチケットを払って観てくださっているファンの人たちの前で、俺の心の中では「俺よりもっと歌うまい人いっぱいいんのになぁ」みたいな、申し訳ないなぁって気持ちになったりするときもあるし、何かそれに勝るような努力をやっぱり俺はして行こうと俺は思っています。これからも。実際、同じ悩みを持っているから今日もこういうお話をいただいたときに、「何か俺なんかそんなに偉そうなこと言えるはずもないのになぁ」って思っていて、俺なんかよりまだまだすごい先輩もたくさんいるし、これから音楽を始めよう、これから何かを始めようって思っている人たちに比べれば少し何か「自分」っていうものを表現しながら生きてこられているのかも知れないけど、やっぱりもっと上には上というか、たくさん自分よりもすごい人たちもいるから、やっぱり常になんか、色んな悩みとか、葛藤とか乗り越えようとやっています。がんばっていこうよ。

 

——ありがとうございます。

 

——(仙石氏)さあ、ではどうですか、他?さっき自分が今の年齢で夢中になれる何かこう、一生懸命に向き合わなければいけない何かまだ見つけられていなくて悩んでいるっていうときに、ちょっと手をあげそうになった子が何人かいたけどどう?今、はっきりとしたこう、明確なビジョンが見えないって人どのくらいいるの?

 

 みっくん。

 

——(仙谷氏)みっくんちょっと。

 

——あのですね、僕、夢が変わりやすいというか、この、一本に絞れないって言ったらあれなのですけど、何か「これで僕は人生終えよう」みたいな、そういう夢がけっこう変わっちゃって、何か一本に絞っている人とかも周りにいるし、小学校教員になるみたいにそういう人を見ると、羨ましいなって思って、それで何かそういう人「何で一本に絞れているの?」聞くときがあるのですけど、きっかけがあるのですよ。絶対なんかこんな事があったから、先生になろうと思った。みたいなきっかけが、まあ欲しいって、きっかけって待ったら来るものじゃないと思うのですけど、TAKUYA∞さんは、歌手を目指した時、きっかけとかがあったのですかね?

 

 きっかけは、でももう俺はこう…探して見つけたというよりも、何かこう、とにかく音楽が好きで、まぁ中学校の時とかの先生にも「どういった大人になっていくのだ」と聞かれたときに「まぁ何でもいいから音楽の仕事していたい」みたいな事、言っていて、実際俺もギターのプロになりたい時もあれば、ドラムのプロになりたいって言っている時もあったし、まぁ一貫して音楽はあったけども、なんかそのフラフラするのも俺は悪くないっていうかいまだに、例えばライブのMCでメッセージすることも、次の日には全然違う事を考えていたりもするし、でもそれってやっぱりいろんなことを考えて、本気で考えているから「やっぱり昨日の正解じゃなくて、こっちが正解かも」みたいな、なんかそんな風になっていくのかなって思うし、そういうものフラフラ探すこと止める瞬間が、俺が一番ダメなのかなって思うから、みっくんが探している間は、ほんとに俺は、それはそれでいのじゃないかなとも思うし、まぁでもきっかけ、ひょっとしたら俺もうっかりしていたら見過ごしていたかもしれん。その、ボーカルをやろうって言っていたのが二十歳の時にあったけど、それをしっかりと「これだ」って自分に言い聞かした部分もあると思う。それが何か、自分の中で「これじゃないなぁ」ってフラフラ過ごしていたかもしれないし。みっくんには是非、見極めてほしい。

 

——頑張ります。道を見つけます。ありがとうございます。

 

——(仙谷氏)まぁ、今、道の真ん中にいて、自分がフラフラしてなかなか見つけられないなと思っているかもしれんけど、数年立った後、その自分を見返した時に、「その時間が無駄じゃない」って言えればね。それはきっと正解だったと思うし、だから今おもいっきりフラフラこう迷うなら迷って、それはそれで絶対にいい時間になると思うから。だからそれも全力じゃないかなと思うけどね。

 

——ありがとうございます。

 

——(仙谷氏)さあ、同じように自分のビジョンの中で、何かこう見えないものがあるっていうところでもうちょっと話進めよか。どうですか?

 

——はい。僕は4回生でもう大学生活も終わりなのですけど、元々高校生の頃に、教師になりたいって思ってこの大学に来たのですけど、何かいろいろ時間を重ねていく中で、やっぱり実習とかもあって、すごい僕、問題とかも起こして、いつも田中先生とかにすごい迷惑かけちゃって、やっぱ教師ってあの、手本だと思うのですけど、全然手本じゃなくて、もうずっとフラフラ遊んでいるし、その中で、一つの企業が決まりまして…で、そっちに行くのか、教師の道に行くのかですごく悩んでてっていうか、フラフラしている。教師には受からないとなれないので、いつまでたってもなれないかもしれない。けど、企業なら決まっているから絶対、ちょっとは安定っていうか、その中でもし一生教師になれないもしれないのに教師を一生追い続けるのかっていうところですごくフラフラしているのですけど、何か良いアドバイスがあればよろしくお願いします。

 

 デビューする二十歳くらいまではいい先生に会えなかったかなってずっと思っていて、まぁなんかこうドラマとかであるような、ああ言ういい先生に俺は出会えなかったなぁ、残念やったなぁ。とか思っていたりとかして。まぁそれはやっぱ自分が追いかけている夢とかも理解してくれない先生だったし、まぁ今思えば、それはホンマに俺の事を考えて言ってくれたんやろうなぁって思うのだけれども、なんかふとした時にこう、今は学園ドラマの主題歌をやっていて、自分の頃の学生時代の頃とかちょっと思い出したりとかして、あのー、それこそ先生って見本、手本になる、なんかそういうマニュアルとかもあるのかも知れないけど、一人だけなんかちょっと反則している先生がいて。まぁ、十年経っているから言えるけど、まぁ何か、すごい道にそれている時期もあったから、中学校の時とか。でもそんな俺をなんかこう自分の友人の結婚式とかに連れて行ってくれたり、ある種他の生徒からすれば、すごいひいきにも見えていたような、でも何かそういうのがあったから俺はあの~多少なりとも真っ直ぐやってこられたかなぁって思うし、なんかそういった先生のなんかこういう「優しい反則」みたいなのは俺はどんどんこれからやっていってほしいとも思うし、例えば頭がよくてすっと一本で学校の先生に何も迷わずなりました!というよりも、やっぱりいろんな悩みとか、葛藤して「こうゆう風にやった方が良かったかなぁ、でも失敗したな」っていうような先生の話の方が俺は聞きたいと思うから、何か彼がそうやって悩んでいるっていうのはすごく何か、今後、何か俺みたいな奴、俺が子供のころみたいな時にすごい色んな事を教えてあげられると思うし、とにかく「自分が一番やりたい」と思うことをやっていくしかないと思う。答えになったかな?

 

——はい。ありがとうございます。

 

——(仙谷氏)僕たちは皆よりも少し年を重ねている分、ま、その中で成功っていう瞬間を迎えたのかもしれないけど、それと同じくらい失敗っていう経験もしてきているので、特に学校の先生なろうって思っているね?生徒さんが非常に多いので、そういう人たちには僕たちからすると、失敗することの方が多い人生だと…特に子供たちは色んな事失敗する。その気持ちを解れる先生である必要があると思うので、だからこそその教員免許を受ける中で、落ちるという失敗もそれは今後に伝えていける経験になると思うので失敗をマイナスにとらえずに、その失敗という経験をプラスにして子供たちに返していくっていう作業を恐れずにやってほしいなぁと思います。

 

 特に今だと何かちょっと、先生がずいぶんと距離を開けるみたいな話も聞いたりもするし、まだ俺たちの頃っていうのは「体罰」とか、あったでしょ?

 

——(仙谷氏)あったよ。

 

 ボコボコにされていたし、まぁそのいくつかはやっぱり「あぁ何でどつかれたんやろ。」って思うのもあるけど、何か、そういうものがあったから、真っ直ぐこられた部分も確かにあるし、何かそういった意味では、迷いとかそういう型破りな部分やったりとか、何か、俺は「いいかな」って思うけど。期待しています。

 

——ありがとうございます。

 

——(仙谷氏)さあ、じゃあもうちょっと進めよか。どうですか?

 

——まぁ僕はこの、4月に二十歳を迎えまして、で、まぁ、十代の時も二十歳になった時もそうなのですけど、周りに本当に素敵な大人っていうのが非常に多いのですよ。あのー、僕のゼミの先生の田中先生も、ほんとに素敵な尊敬できるような大人ですし、あのー今日もUVERworldさんの先行試写会を観させてもらってもそうだと思ったのですけど、本当にTAKUYA∞さんも尊敬できる大人の一人だと思うのですけれども、あのーその中で、僕自身もいつも考えている頃があるのですけど、何も儀式的なものが無く、誕生日を迎え、二十歳になった訳ですけども、もう、普通に十代の時と変わらずに、ただまあ、お酒が飲めたりだとか、たばこが吸えるってなっただけであって、何も変わらないような日々を送っているのですよ。で、もうその中で、こんなままでまた二十代が終わって三十代になったら、俺は二十代の時に一体何をしていて、将来小学校の先生になりたいのですけども、子供たちにもし伝える立場になった時に、「俺は二十代の頃にこんなんしたんやで。」って言えるような人間になりたいと今でも思っているのですよ。それを結構まぁ毎日、毎日のように暗中模索しているのですよ。TAKUYA∞さんは非常にビッグアーティストですごいなあと思うのですけど、あの二十代の頃に「これしとけばよかったなぁ」とかってやっぱりあると思うのですよ。で、そういった事を教えてもらえたら僕もこれからそういうのを機に経験になると思うので、教えてください。

 

 二十代のときにやっとけばよかったことかぁ。いや、もうたくさんあるけど、自分で言うとまぁ、これ参考になるかわからないですけど、俺はピアノをやっておけばよかったなって言う気持ちで何年間も生きてきていて、一番初めにピアノをやろうと思ったのはのはまぁ十八の頃に「よし!始めよう!」と思った。で、ピアノを買ったものの、なんかちょっと触って「これちょっと自分には無理やなぁ」って思って、まぁほったらかしにしていて、で、まぁ二十歳になってもまたやっぱりピアノをやりたくなって、でもその時はもう「十八の時は無理やったしやめとこう」って思って、で、また二年後、二十二になってまだやりたくて、「これはやばいなぁ、まだこの先、二年後もやりたくなっているだろうなぁ」と思って。何となくこう、始めていったら、もう、何かこう、最近はまぁほとんどの曲を自分がピアノで作るようになって、まぁそんなにうまくはないけれども、何か色々、そのピアノが、その始めたっていうそれが自分のこう、糧になったりとかして。何か「二十代にやっとけばよかったな」って思う事はきっとその、十代にやり残したこととかを、「遅くない」と思って、もうやるべきやと思う。そしたらどんどんどんどん次にやりたいこととかも出てくると思うし、俺の場合は、そういう風にまぁ、例えばこれから四十代、五十代の人たちにも何かそういった勇気みたいなものを与えたいから、何か、自分がやり残したこと、ひょっとしたらそれがスポーツかもしれへんし、何かわからへんけども、まぁ、色んな物を始めていって、やりたかったことを全部やろうかなぁと俺は思っている。だから、きっと思い返せば十代の時に「あれやっとけばよかったな」というのがあると思うから、それを二十代の頃に全部やってください。

 

——(仙谷氏)何か付きもんが落ちたみたいにすっとした気持ちやね。さあ、じゃあ、ちょっと、女性の皆さんの声も是非みんながどういう事を悩んでいたり、考えていたり。また、TAKUYA∞さんに聞きたいと思っているのかっていうのをちょっと、じゃあせっかくですから。目が合いましたから。

 

——はい。私、本当は地方公務員の前に銀行員になりたくて、自分は安定志向なので。しかし、銀行の就職活動が2つ最後までいったのですが、最終試験で全て落ちてしまって。もとから公務員の試験の勉強はしていたので、公務員の試験は受けるのですが、そういう挫折した時に「やっぱりもう一年諦めて、銀行員になろうか」とも思ったのですけど、そうなった時にやっぱり親は大学出てすぐ就職することを望むので、やっぱり公務員試験は頑張っていますけど、「どうしようか」と悩んでいます。挫折した時ってどうゆう事を考えて、どうゆう事から乗り越えられましたか?

 

 一番はもう「反骨精神」が半端なく自分の中ではあるのかなぁと思って、とにかく、こう音楽でその…それこそボーカルとしてその…将来をやっていくってことに対して、誰一人として理解してくれなかったって言うのが一つあって、俺はやっぱりそれに負けたくないとも思ったし、それこそ血の繋がったお姉ちゃんでさえもまぁ自分がミュージシャンになるために、ボーカリストになるためにまず何をしたらいいか、俺の場合は分からなかったから「とにかく走ろう」と思って毎晩、走ったりとかして、夜中に!」と。やっぱり両親もやっぱり、僕二十四でデビューしているから、二十四まで「ちょっといい加減仕事したらどうや?」みたいなことで。友達もやっぱり理解してもらえへん部分があって、やっぱその反骨精神、「いや、俺は絶対こうなりたい」みたいなものが誰よりも強かったし、そして俺も同じく「安定志向」。やっぱりあの…ゆくゆくは自分の家庭を養っていかないという責任感は持っているし、好きな人ができて、子供が出来て、その人たちに絶対苦労はかけたくない。そのための音楽だと思っているから、なんかここで中途半端なことするくらいやったらもう、これを極めた方が安定するって俺はもう心の中で確信しているものがある。安定志向、非常に素晴らしいと思う。絶対大事だと思うからそれは。きっと俺たちがそういう風に自分の好きなことやって、中途半端にのたれ死んでいったら、家族とか兄弟とかいろんな人を悲しませるから、「安定」は大事な事だと思う。ただ、こう何かこう反抗精神っていうか、まだ何か「ホンマはやりたい」って気持ちがあるのであれば、何かどうやっても消えないような気がするし。色々考えて一緒に安定していきましょう。

 

——ありがとうございました。

 

——(仙谷氏)じゃあ、もう一人女性のメンバーから何か。

 

——初めに言ったのですけど、小さい子供に携わる仕事がしたいって思っているのですけど、やっぱりたまに悩むこともあって、「本当にこの道でいいのか」とか「自分に向いているのか」とか。で、幼稚園の先生とか、保育士になりたいって言っているけど、私もピアノ始めたのは大学入って始めて、まだまだ全然弾けなくて、みんなそうやって悩むことあると思うのですけど、TAKUYA∞さんも音楽続けていくのを悩んだ事ってありますか?

 

 もうそれは、あるというか、もう今でさえもやっぱ向いているか向いてないかで言ったら、きっと俺は向いてない。「そんなことないよ」って言ってくれる人たちもいるけども、やっぱり自分の事は自分が知っているから。俺は絶対にミュージシャン、ボーカリストっていうものだけで見れば、絶対に向いてないと思う。だってもう生まれた時からさ、どんなに自由に歌える人たちって世の中にいっぱいいる中で、その人たちと同じ土俵でやっていく訳やから。俺はそういう気持ちでいるものの、でも、俺みたいにやっぱりそういった才能というか「向いてないけどやりたいもの」と「向いているの」と違う人っていうのは世の中にいっぱいいると思うから、俺はそういう人たちに対して「やれる!」って事を証明できると思うし、やっぱりその子供達に夢を与えていく仕事なわけでしょ?そういう気持ちは、俺は大事だと思う。そういう子供たちにも何かあの…先生の「私はやっぱり幼稚園の先生、自分は向いてない気がしたけれどもやっている」っていうのがやっぱり何かこうはっきりとは小さい子供たちには分からずしても、何か、感じるものがあるのかなと、俺は思います。

 

——ありがとうございます。

 

 お願いします。あの、是非俺の子供はあの先生に。笑

 

——おねがいします。笑

 

——(仙谷氏)はい。じゃあお待たせしました。

 

——私は中学・高校でサッカーをやっていて、何か小学校の時は、マラソンとかをやっていたのですけど、マラソンを走っている時に記録って出るじゃないですか?順位だったり。そういう順位とかの期待がその…重荷になって、あんまり好きじゃなくなって、マラソンが。で、サッカーとかもその記録が出るうちに何かプレッシャーとかになって、好きやった時もあるけど嫌いになって、遠のいて行くみたいな感じで今やってないのですけど。

 

 サッカーもマラソンも?

 

——サッカーもマラソンも。でも走る事もサッカーすることも好きなのですけど、その「結果」っていうのがついてくる舞台ではあんまり好きになれなくて、音楽をTAKUYA∞さんは好きですごいやってらっしゃるじゃないですか?でも嫌いになったりする時ってあるのですか?

 

 音楽が?

 

——はい。それで嫌いになった時に「でも、やっぱり好き」ってなる瞬間みたいなのがあったらすごく知りたいなと思って。

 

 唯一、音楽が嫌いになりかけた時期っていうのが、デビューして、一年、二年、三年ぐらいに。というのは、自分の中ですごく迷った時期があって、それこそ一緒でレコード会社の人たちも、事務所の人たちも「売れなければいけない」みたいなプレッシャー。そういう音楽作りを望んでくるし、それに対して「あぁ…どうするべきなんかな」と考えて、自分のやりたいこととはまた別の結果を出すような…売れるような、いわゆる売れるような楽曲をこう…作ろうとしてしまって、何か「自分の楽曲にがっかりしている一年目」があったりとか、まぁちょっとそういう所から、ちょっと何か、自分の中でこう、んー、方向転換していって「ここはゆずる」「ここはゆずらへん」みたいな感じで、自分たちの楽曲を作りつつも、何か結局、その言い合いの中で、プロデューサーさんが「そこまで言うのだったら、まぁ、ここの歌詞はこっちじゃなくて、こっちの方がいのじゃないかな?」って負けてしまって、帰ってその曲を聴いて泣きながら寝たこともあるし。何かそういう所で、やっぱ気にしすぎることは俺もわかる。絶対よくない事だと思うし、何かそれでもやっぱり俺は音楽からは離れられなかったというのがあって、それから手探りでどうにかこう「音楽大好き」で大好きなままやっていた自分を取り戻そうと思ったら、結果やっぱまぁ、好きに音楽をやるしかなかったけれども、その辺でやっぱり今はもうデビューして七年経って、レコード会社の人たちも事務所の人たちもその…「自分たちのやりたい音楽」ってものを理解してくれたし、何か「売れなければいけない」ってみたいなプレッシャーもかけずに、何か「好きな楽曲を作っていいよ」と言ってくれるまでに七年かかったっていうのはあるものの、今を振り返ればまぁ、結果とかそういったものは本当に好きなものをやっている中で、すごく煩わしいけども、何か立ち向かっていかなければ、やっぱりサッカーも、マラソンも実業団でやればまぁ一人でやっている物ではないから、やっぱりいろんなサポートする人があっての事やから、そういう人たちの事も考えてあげるというか。今はもう全然やってないのですか?

 

——そうですね。どっちも全く。

 

 マラソン、ちなみに一キロ何キロくらいで走るのですか? 

 

——一キロ、三分二十秒ぐらい…

 

 すごい!一キロ三分二十秒で走るのですか?すごい!俺、今も毎日マラソンやっているです。あの…一か月間連続で走り続けていて。で、iPhoneで、あの…タイムが計れるでしょ?そういうので三分二十秒は一回も出せてないですね~。相当早いですから。いや、でもマラソンも実際、その…自分で走るようになったっていう前は、例えば中学校・高校とかマラソン大会とかあるでしょ?あんな時とかははっきり言って「何で走らされんなあかんねん」みたいな感じ。大嫌いだったものが、その…俺もやっぱ「なりたいもの」を想像すると、やっぱり「体力」が絶対必要やから、「なりたい自分」をこうイメージすると毎日走れたりもして、今六十一日間で五百十二キロをiPhoneで記録できていて、マラソン選手からすれば大した記録じゃないかもしれへんけど、何か自分の中で毎日増やしていくのを見て、ニコニコしていて、そういう風に楽しめたらいいなぁと思うんやけど。すいません、答えになったかどうかわからないですけど…

 

——ちょっと始めてみようと思います。ありがとうございます。

 

——(仙谷氏)さあ、時間が迫ってきているので、もうないよ、この時間は。今日だけよ。どうしても自分の抱えている事を、是非、TAKUYA∞さんに聞きたいという人がいれば、ストレートに出してください。

——今の悩みとかにも被ってしまうかもしれないのですけど、さっきも言わせてもらったようにラクロスやっていて中学生のころからずっとやっていてやっぱ毎日練習していてもやっぱ、全然伸びない時期もあったりスランプの時期もあったり、練習するのが嫌いになったりとかいう時期もやっぱりあるけど、やっぱ最後に引退することになったりやっていてよかったなって思える瞬間もやっぱりあるからやめられないなぁって自分でも思うのですけど、TAKUYA∞さんも詩を書いたり、曲作ったりしているなかで、

 

曲が書けなくなることは時々ある。今までだと半年間一曲も出来なかった時があったりデビュー当時色々考えすぎている時期とかもそうやったし。でもだから今もそういう恐れを背負いながら、いつかなんか枯れるときがくんのかなぁ…みたいな。今はどんどんどんどんやっぱり言いたいことも沢山あるし、やっぱ俺も沢山悩み抱えているしコンプレックスもいっぱいあるし、そういったものと葛藤していって、そういうのが無くなったときとか俺って枯れてしまうのかなぁって気持ちで居たりするけど。この先どうなっていくのかなという不安はあるけども、今のところはなんか言いたいことは沢山あるから、大丈夫です。

——(仙谷氏)フフッ。

——ありがとうございます。

——今日映画見させてもらいまして、自分の今までの生き方と照らしあわせて行って。僕自身も昔はフラフラ中学校、高校の時は色んなことで問題起こしてフラフラして、した人生が普通であって、そのあとこの大学に入れさせてもらってそこから、僕は、僕自身昔からちょっと洋服関係に興味があってその中でこの大学に入って、でも実際はこの学校では教育関係の学校でして、でもそんなかでもココで言うのもなんですけど、もう三ヶ月くらいで正直僕と全然違うなって思う時期もありましてそんなかで、でもココで逃げたら、もう負けやなぁって感じで、自分自身も続けてきてでもそんなかでやっぱり洋服関係の仕事がしたいってゆうことを三年生の時にやっぱり考えていて、その時にこの映画にもあったようにあえて高い目標を持つっていうこともTAKUYA∞さんが言ってはりましてそれで僕自身も、高い目標というか洋服業界を引っ張っていけるような人材になってやるっていうのを目標として一応就活で洋服業界に決まりまして、来年からそのアパレル業界で働くことになるのですが、そのような高い目標を持つキッカケを持つようになったのはどういった時でしたか?

 高い目標を持つようになったきっかけ…うーん、どうだろうか…まぁでも今みたいに、メジャーデビューするって言うてたのは当時十八、十九、二十歳くらいの時には、これってすごい大きな夢であって、周りのみんなはホントにちょっとまぁ鼻で笑うような、だってきっと俺が二十歳の頃はみんなより全然しっかりしてなかったし、そんな俺がメジャーデビューするなんてこと言っていたから、今考えればみんなが鼻で笑ったこともわかるけど、それまでの夢って言うのが例えばバスケットボールの選手だったけど、そういうのがなりたいってことを心のなかで思っときながら、俺なんかになれる筈がないみたいな、あの…気持ちで、言わずにやっぱ過ごしてきて、どんどんやっぱもう消えていったし、まぁバスケットボールの選手になりたいっていうのはもっとちっちゃいガキの頃だったり、もともと初めての夢があの…学者やったらしくて博士になりたいみたいなこと言っていたらしくて、そこから先に持った夢に対して俺口に出す事さえできなくて、それもやっぱり自分のことを知りすぎているから、自分なんかに出来ないっていう気持ちで言ってなかったのが、唯一メジャーデビューするっていうのは口に出して言っていて。強く願ったしそれがやっぱり色んな人に受け入れられずになんかこう、鼻で笑われていることも自分のパワーになったしなんかそこからはやっぱり自分の思ったその叶えたい目標というのはホントに口に出して、奮い立たせるというか、後戻り出来ひんようにしてしまうというか、なんかそこで生まれてくる葛藤というかなんかこの…あの…それでホントに自分のエネルギーに変えてやってこられたっていうのがあるから、それかな、キッカケはやっぱり。

——ありがとうございます。

——(仙谷氏)高い目標を持つことによって、例えばUVERworldだと集合体として、一つのバンドを通して活動している。その高い目標を持つことで、みんな全員のモチベーションであったり、それに向けてのスキルであったりっていうのが上がっていくって言う意味では、高い目標を持つっていうことはプラスになる。

 例えば東京ドームを二年前にやらしてもらった時も、東京ドームを開催した一年前から決まっていたのだけども、その時に東京ドームをやりたいなんて言っているやつなんて、チームの中でも、スタッフも含めて俺しか居なかったし、みんなは出来るわけないみたいな、まだまだでしょみたいな流れの中で、なんかチームの中で俺ぐらいそういう無茶苦茶言っている奴がいるぐらいがいいかなっていうのを感じていて、ホンマにその東京ドームでやりたかったから、常に口に出していたらスタッフとかもみんなメンバーとかもそれに向かって一つになっていけたというのは、なんかやっぱり大きな目標っていうのを掲げるっていうのは、なんか悪くないなと、俺は思う。

——(仙谷氏)だから皆も色々と目標っていうのは、心のなかにしまいがちだと思うのですけど、やっぱりそれを口にだすこと、人に言うことで今度はその発言に責任をきっと持たないと行けないと思うので、そこに向かって出来るか出来ないかは結果なので、まずはそこに向かって頑張っていく姿勢っていうのを自分たちが意識してやっていくことで気がついた時には一年前の自分より凄くスキルアップした自分がきっと生まれているだろうし、それがまた一つの大きな花を咲かせるっていう東京ドームの話のようなことにもなると思うので、みんなそれぞれに小さい大きい色んな目標はあると思うけどそういうのは口に出した方がいいよね。

 俺はそういうふうに言っています。

——(仙谷氏)なのでそれを出すことによって相談にも乗ってもらえる。きっとこれだけ沢山の友だちもいれば、また先生もいらっしゃれば出来ると思うので、抱えずにやっぱ目標は口に出す、人に伝える事によってなんかまた次の展開が見えると思うので、そういった所でもし、今いるメンバーでね、皆さんがもしちょっと立ち止まっているのであればどんどんどんどんポジティブに物事を捉えて、前に進めていってもらえたらなっていうのは、凄く今のTAKUYA∞さんの話からも感じたのですけど…。さぁじゃあちょっとね。時間もそろそろ迫ってきているので、最後一人。

——これは全教育学部、この大学を代表して言わせていただきたいのですけども、近年滋賀県の大津市でもありましたように、いじめ問題とか自殺問題っていうのが、まぁ結構僕も耳にしますし、TAKUYA∞さん自身も耳にすることってあると思うのですよ。僕自身将来、教育現場に立てる人間になりたいなと思っている人間としては非常に悲しい現状なのですよ、将来、明るい未来っていうのを期待している中でそういったことがあるっていうのは非常にやっぱり僕自身も不安になりますし、こういう現場なのかなっていう現実をつきつけられるって言う意味では、非常にホントに悲しい気持ちでそういう悲しいニュースを耳にするたびに思っているのですよ。でーTAKUYA∞さんは非常に熱い思いを常に持っていて。DVDも見させて頂きましたし、曲も聞かせてもらっているのですが、非常に若者目線ですし、僕らにも熱い思いが伝わってきます。そのことを踏まえて、もう何度も伝えているとは思うのですけれども、僕達を含めて今の若い世代にメッセージみたいなものがあれば教えていただきたいなと思うのですが。

 二十代っていうのは自分も経験したけど、常にグラグラする年代だと思うし、でも実はそういったグラグラして色々迷ったりとかしている姿っていうのはその年代を過ぎた俺等からすれば、もうどうしようもなくキラキラして見えるものでその時間っていうのは本当に大事な時間って言うことは俺達も経験しているから本当に色んな風に迷って悩んで葛藤して自分なりの答えを見つけるってことは本当に大切なことやと思うし、そういうもので俺達自身もやっぱり、みんなのそういう姿見ていて…今日もそう、こんなになんかこうキラキラした目でしゃべる人がいるのだなと、まだまだ捨てたものじゃないなとも思うし、俺達自身もこうそういう姿見てもっともっと頑張っていこうと思うし。なんか今日みたいに、皆よりも長く生きた俺達が自分たちの経験なんかを話して、皆がなんかこう頑張ろうと思ってもらえるような大人で居続けようとも思うし。本当に俺達が偉そうに言えることなんて本当に少ししかなくて、一緒にお互いを高め合ってというか、今の皆に伝えたいっていうのは、それぞれの夢をこれからも色んな夢があったと思うけど、そういうのを叶えてもらってそこに向かってってもらって、五年後十年後、俺達も音楽シーンという凄く難しい場所に生き残って、どこかで会えた時にまた話ができるお互いすごいカッコよい大人になっていこうよってことを皆含めて色んな人に俺は伝えたいと思う。よろしくどうぞ!

——(仙谷氏)はい、最後の質問がまさに今日TAKUYA∞さんをこの場にお迎えした答えかなという気がします。みんなそれぞれに色々悩みもあるし、そこに向かっていく中での道というのはたくさんあってその道を選択する勇気っていうものもなかなか持てなかったりすると思うのですけど、とにかく悩む、でも挑戦をする、でその失敗を恐れない最終的に自分の持っている情熱で全部前に進むと思うので今いる自分を信じて、どんどんどんどん突き進んで行ってもらえれば、またいい顔をして再会できるのかなと!

 再会したいですね!

——(仙谷氏)ね!みんな五年後十年後どうなっていたとか、アパレル言うてた子がね!

——(仙谷氏)うーん、だからそうやって、道は無数にそうやって可能性も無限大やろうし。皆が今日のこの時間を凄くいいモチベーションに変えてこれからの時間過ごしていってもらえれば凄くTAKUYA∞さんにとっても僕も一緒にさせてもらったこの時間は凄く有意義だったと思えるので、是非みなさんもがんばってください!
 
 頑張ってください!

——ありがとうございます!

——(仙谷氏)もうちょっと緩い時間になるかと思ったんだけどね(笑)

 緊張するわぁ(笑)

——(仙谷氏)すごい力入って…。でもみんなやっぱり凄く色んなこと考えているなって言うのが…

 やっぱこういう場で話させてもらえたのは初めてやから、随分緊張したなぁ…。緊張もするし、でもいい思い出になりましたよ!俺自身も。なんかあんまり偉そうなこととかはホンマに俺等は言えへんけど、あのーみっくんなんか迷いに迷ってもらって、TAKUYA∞くん何にも無くなったってなったら一ヶ月だけやったら、牛丼毎日奢るから(笑)牛丼の間になんか見つけるくらい思いっきり行ってほしい!!

——ありがとうございます(笑)探しまくって本当の答えを見つけたいと思います。

 一ヶ月だけなら僕もね!

——最後の逃げ道ということで(笑)

——(仙谷氏)贅沢な逃げ道やでぇ(笑)俺も一ヶ月おごってもらったこと無いのに(笑)まぁね皆に時間全員に行き渡らなかったのですけども皆に共通する部分もたくさんあったと思うので。
 
 お話出来てよかったです!

——ありがとうございました!

 


UVERworld TAKUYA∞氏が田中ゼミへシークレット参加

http://www.osaka-ohtani.ac.jp/department/education/news/201209_1541.html