―20歳の頃、何をしていたのか。
音大の器楽学科ピアノ専攻の学生でした。
ピアノはほどほど、「サルトル研究会」に入って、サルトルやブレヒトの戯曲を読んでました。音楽会よ
り文楽や歌舞伎を観に通うほうが多かったですね。
―何故、音楽の教師という道を選択されたのか。
したくてなったわけでなく、音大から推薦されて大谷女子大学(当時)に採用されたのです。
―どんな生活を送られていたか。
大学へ行って(授業はサボらず、前に座って真面目に受けていました)、帰ればピアノの練習をする生活でした。
前問で書いた他に、当時はベトナム戦争でしたから、反対の署名を集めたり、デモに行ったりもしました。
―影響を受けた人。
「クラシックを勉強することの意味」を教えてもらったのが、Dr.ベンテというドイツ人のピアノ教授でした。
―尊敬する人。
真面目に生きている人。逆境にあっても前向きに、ひたすら努力する人。
―もう一度、20歳に戻れるのなら。
正直、戻りたくないなあ。またここまで生きてくるのがしんどいもの。
―音楽を教えるにあたって気を付けていること、工夫していること。
できる限り傷付けない(言葉で)ようにすること。
―音楽の教師以外に、やってみたかったこと。
美学や古美術を勉強して骨董屋になりたかった。
―音楽の教師をして、一番大変だと思うこと。
演奏を言葉で理解してもらうこと。
―音楽の教師をして、一番楽しいと思うこと。
学生がそれぞれに良い面を見せてくれた時。楽しいというより嬉しいことかも。
―趣味について(現在と20歳の頃)。
現在:古美術品を観たり、買ったりすること。美術館や博物館で美術品を鑑賞すること。
20歳の頃:文楽、歌舞伎を鑑賞すること。地中海沿岸(ユーロ側)を旅行すること。
―人生のターニングポイント。
音大卒業時かな・・・。
―音楽の教師を辞めようと思ったこと。
数えきれないくらいありますよ。3年前から思わなくなりましたが。
―何故、大谷の大学の先生になろうと思ったのか。
本当に希望などしていなかったのですが、音大の教務部長・学生部長の推薦なので断れませんでした。また、恥ずかしい事に何かになりたいという目標も無かったから。
―今の生活について。
もうすぐ退職なので、働かなくてもよい(時間を売らなくてもよい)人生に対して、期待感
が少しあります。
―人生で、一番やり残したなということ。
イタリアに家を買っておかなかったこと。
―音楽が何故好きなのか。
あまり好きではないのです(詐欺かもしれませんが)。音楽より美術の方が好きなのです。
―今の20歳、大谷の学生へのメッセージ。
教養って、やはり良いものだと思いますから、将来、深い教養を持つ人になっていただきたいと願っています。
(執筆者)大阪大谷大学 教育学部学校教育専攻 池口淳哉