黒岩 唯一(DJ)
1967年 東京都大田区大森出身。名古屋に出てきて21年目。
現在、レギュラー番組は、
@FM807(FM愛知)「You gatt @ POWER」毎週月曜日~木曜日 16:00~17:00 生放送中
テレビ愛知「黒ちゃんねる」毎週金曜日 深夜1:35~2:05 放送中
スポーツ関係を中心に、イベント司会など幅広く活躍。
また、レーシングドライバー、フットサルチーム「KURO FC」選手兼代表、野球チーム
「TEAM KURO」選手兼代表、サーフィン、ゴルフ、などなど、なんでもこなす
マルチプレイヤーの顔も持つ。名古屋の兄貴的存在!!
――20歳の頃、どのように過ごしていましたか?
僕は20歳の時は帝京大学経済学部で、地元が東京都の大田区大森で、大学に通いながらアルバイトを大田区蒲田っていう繁華街でしていました。スポーツの方はサーフィンウインドサーフィンをしてて、免許をとってからは地元の先輩とチームを組んで毎週日曜日に海にも行ってたんですけど、夜はバイトで学校帰ってから繁華街でショーパブってあるじゃん。
――どういうのですか?
要するにお酒を飲むんだけど、ステージがあってお客さんがカラオケ歌ったりするのと、あと俺たちバイトのやつがダンス、今でいうとEXILEのマネ、歌マネ、モノマネやったり、お笑いやったり、自分でメニュー考えてバイトの人たちがそうやってショーやってるの。居酒屋とか行く?
――たまに
居酒屋でバイトが働いてるじゃん。男の子も女の子も。うちのショーパブは男しかいなかったけど、そのみんなが3人で、例えば少年隊、今でいうとNEWSとかジャニーズもマネをしたりとか、そういうふうにしてショーを盛り上げて2時間に1回15分くらいのショーを考えて出し物として出してた。それは時給にプラスはないのよ。当時、夕方5時から朝5時まで働いて、時給800円!! でも好きだから、楽しく働いていたよ!!
だから学校で勉強しながら、社会勉強は、そのバイト先で、先輩や後輩との関係や、あと海のスポーツクラブの、俺10コ上の先輩と遊んでいたりして、、、、、
そういうふうにして、人とすごい縁があって、たくさん仲間がいたから、いい社会勉強が出来たと思う。
当時は沢山遊んだし、勉強したり(そこそこに)、スポーツもやったから、毎日が楽しかったよ。つまんねぇなって思ったことは1日もなかった。
――2つ目の質問にいきます。20代の時に影響を受けた人はいますか?
20代の時に影響を受けた人は、やっぱり地元の先輩とか名もない方だけど、まぁ地元の先輩の影響が一番あったかな。なかなか普通の学生だと、皆もそうだと思うけど、頑張っても自分の3コ4コ上ぐらいじゃないのかな通常出会える先輩って、、、、学生時代に会えるのって。でも、たまたま俺の実家が東京都大森区で一軒家なんだけど、3世帯が住めるようなコーポを経営していて、たまたま、そこに引っ越しきたのが地元の9歳年上の先輩。
見た目は普通の大人。でも実は昔、不良で暴走族のリーダーやってた、ご夫婦が入居して来たのがキッカケで、そこで大家の息子ってことで9歳違うんだけど、海に連れてってもらったりとか、暴走族をあがちゃった人(卒業した)と遊んでたので、そういう意味では、俺が逆に1コ上とか2コ上とか知ってるけどあんまり遊ばないで、大人と遊んでたんで、そういう人たちの影響をいっぱい受けた。お酒を教えてもらったし、恋の悩みとかも聞いてもらったりした。で、その時はまだこういう仕事(DJ)をしようとまったく思ってなかったんだ。
――ちなみにその事を考えたのはいつですか?
将来「DJ」になりたい!!ということを考えたのは、、、、無かったね!!(笑)
成人式のニュースを見て、成人の方が「大金持ちになりたい。」て、話しているのと同じ感覚の20代で、頑張って稼いでお金持ちになって、名のある企業に入って、有休がいっぱいあって、、、、、、、、明確なビジョンはなかった。
今戻れるんだったら、証券マンとかTV局とかクリエイティブな仕事でバリバリやれたらいいなぁとか思うね。学生の時は給料と休みしか考えてなかったから。(笑)
――1日1日のことで精一杯だったんですね
そうそう。あと、まだバブルの後半だったから企業が元気よかったからね。学生の時は就職活動で6月には6社の内定もらってたから。接待とかもすごく受けて、ある銀座の会社は俺に対して10万円以上接待してくれたよ!!
例えば、人事部の部長が、「花火見に行こうか!!」というので行ってみると、東京湾の屋形船に、選ばれた学生が乗って、OLのすごいかわいい人を用意してくれた。(笑)
それは全部企業側が払う。接待受けても俺は入らなかったから、、、、、ぶっちゃけ、企業は損したよね!!自分で言うのもなんだけど、、俺、他の学生と比べてかなり社交的で、ハキハキしていたから、企業は来て欲しい感じで、たくさんの接待受けたよ!!(笑)
――その当時から社交性があったんですね
アルバイト先の、飲食店では、いい客もいれば、悪い客もいる。からむやつもいれば、そうじゃない客もいる。そういう部分で実体験で教わったからっていうのもあるんだけど、そこが一番、大きな経験で財産だね。ごめん、話ずれちゃった(笑)
――いえいえ、おもしろい話が聞けて嬉しいです。では、3つ目の質問にいきたいと思います。ラジオパーソナリティーになるまでに困難なことはありましたか?
ラジオパーソナリティーになる前に9歳上の先輩がやってる「芸能プロダクションのマネージャー」として入社。ある女性タレントについたんだけど、犬のように働かされて、一年間で、360日ぐらい働いた。(休みは、たったの5日!!)
先に話した大学生の就職活動では、内定を沢山もらっていたんだけど、、、、
地元の先輩に、「鯛の尻尾より、メザシの頭を目指した方がいいんじゃないか」って誘われて。要するに何千人の中の歯車の1個で働くよりも、4,5人の会社の頭の方で働いた方が楽しいんじゃないのって。俺も芸能とか好きだから“やります!”って言って内定全部断って入ったの。で、その時に「100万ほしくないの?」って言われたの。「ほしいです!」って言ったら、、、、、、、、、、年収だった。1か月7万円だった。(笑)
――マネージャーの時の?
そうそう、だから芸能プロダクションに入った時「月収7万円」、それにボーナスについて大体100万円、さっきみたいに休みがないから金を使わないじゃん。
あと実家に暮らしてたから、寝泊りと食事はタダ。親に食わしてもらってた。
また車は、芸能プロダクションの会社の車を運転していたから、最初からBMWとかベンツとか運転していたね。自分の車のように!!(笑)
給料は7万円だけどガソリン代から交通費から飯代は、全部会社支給。
忙しかったけど、新鮮な毎日で楽しかったね。そんな感じだったかな。あれ、なんて質問だっけ?
ーーラジオパーソナリティーになるまでの困難についてです。
芸能プロダクションマネージャーは、担当のタレントに、不条理な事をいっぱい言われる。
俺が担当したタレントさんに着いた先輩マネージャーさん達は、直ぐに辞めちゃう!!
タレントからのいろんなことに対して、嫌になっちゃう。我慢できず、やめちゃうわけよ。やっぱり若い子には辛くて、、、、、、
でも俺は、その試練を耐え抜いて、続けられたのが良かったかな。
後ひとつは、人生を変える大きな出来事があって、、、
25歳の時に、大きな事故を起こし、ICUに入って死にそうになったんだ。
奇跡的に、命を取り留めて、即手術、入院。
1ヶ月半は、ベットから起きれず。
三ヶ月歩けなくて、、、、退院後も、一年間は松葉杖の生活。
その間は、仕事はお休み期間になった。辛かったけど、今思えば良い充電期間になり、そういう時が、あったから今の僕がある。
こうやって東京から名古屋に出てきて、チャレンジするタイミングを作れて、、、、
生きている事、すべての経験が、やってきて良かったなあと思っている。
その瞬間は辛いけど、過ぎちゃえば、結構良い経験になってるんじゃないかな。
だから、皆がこれからぶち当たる「壁」っていうのは、その瞬間は辛いけど、過ぎてしまえば、「あの経験があったから、今があるんだとか、あの経験があったから自分がこんな風になれたんだ」って言えるように、多分なると思う。
――先を考える事で、困難な時にメンタルを保っていたのですか?
困難な時は、すごいヤバイと思いながらもとにかくやりきる!! 大変で辛いけど。
その困難は、何年かして振り返ると、その経験が必ず自分の為になっている。
少し自分が成長している。
仕事で言うなら良い仕事をしてる。
給料で言えば金額が上がっている。
困難な経験も、今振り返ると、「笑っちゃうくらいだったね」って言えるような感じで、生きてるから。
若い時は、これを乗り越えれば、先にあれが見えるっていうよりも、なんとか、これをやりこまないと、やばいって感じでやってた。逃げちゃだめだから。一度逃げたら、そこに帰ってこれないからさ。仕事とか恋とかすべて。
――多くの有名人とのつながりがあるとホームページで知りました。僕はL’Arc-en-cielのhydeさんが好きなんですが、黒岩さんと会話したり、ライブに突撃潜入したりといった映像を見ました。つながりを増やすためにはどうしたらいいですか?
やっぱりね、人付き合い、その人の人間性が、良くなきゃだめ。
例えば「人柄がいい」って言われると、どういう人を想像する?
――明るい人、やさしい人、一緒に遊ぼうとか誘ったら、のってくれる人
うん、そうだね。人の関係ができるには、やさしいとか、ノリがいいとかもあるけど、人がいいっていうのは、僕が思うには周りに気を使える、気配りができる人間が、いい人だと思う。
俺は自分でいうのもなんだけど、たぶん気配りが人一倍できる。自分のことよりもゲストのこと考えるし、家族や、子供達のことも考えるから。
自分がやりたいことよりも、周りのことをやっちゃうタイプ。
そういう部分でhydeもそうなんだけど、いろんな方と、一回会っただけで仲良くなれる。もうひとつ話すと、親に感謝だよね。
親が俺を育ててくれたから、俺がこういうふうになれたんで。小さい時から親がそうやって、俺に対して優しさを持ってだとか、愛情を持って育ててくれたから、今の俺があるってずっと思ってる。人とうまくつながろうと思ったら、それは自分からアクションかけなくちゃいけない。あと、相手に何かをしてもらいたいのなら、まずは相手に何かをする。やっぱそこの部分だよね。倍返しまでは、しなくていいけど。
相手に、なにかをしてあげると、「この人は俺のために、いろいろやってくれるんだ」って思って心動く。人の心を掴むのっていうのは、相手に対して、まじめに付き合う事だったり、一緒に盛り上がるときは盛り上がって、いいかげんなところは、見せないようにね。いいところだけ見せれば、きっとうまく付き合えると思うよ。俺は2秒で人と友達になれる資質を持ってるから、、、、(笑) 実際、君たちも初対面だけど、今も会っていて、別に嫌な感じしなかったでしょ?
――はい
あと知らない人としゃべること。例えばエレベーターで40階まで上がるとしたら、俺なら何かしゃべるからね。「長いですね~」とか。もし、そういう一言を言えないのなら、声をかけてもらいたい。
そういう気持ちで、これから生きていけば、絶対いい事あると思う。
Hydeだって最初全然友達じゃなかったよ。
でも、「名古屋に行ったら黒ちゃんに会ったほうがいいよ」って言ってもらえるようになれば、自然と人との輪は、広がっていく。
相手に思いやりを持って接すれば、悪いことはないって。
絶対つながってくれると思う。
簡単に言ってるからなかなか分からないかもしれないけど、経験するとわかるよ。
――次の質問にいきたいと思います。人前に立って堂々と話せるコツはありますか?
こればかりはね、仕事だからね。イベントを盛り上げたりするとか。ある程度テーマがあると何でもできるんだけど。この前ね、田原警察で一日署長やって、警察の仕事とかもよくやってんのね。でも、その時は、警察署員の前で20分くらいの講義をやってくれって言われて、いきなり言われちゃっても~って感じでさ。緊張したね。相手が警察官だし。実は黒岩、「固い話」とか、「結婚スピーチ」とか、得意じゃないんです。
たぶん、そうい話は、社長さんとかのほうが得意かな?(笑)。
それ以外は、プロなのでやりきりますよ!!
コツかどうかわからないけど、「何を伝えたいか?」を、自分自身でよく考えて話せば
伝わるのかな?
――さっきの内容とかぶってしまうかもしれませんが、今まで生きてきた中で一番いい経験をしてきたなと思えることは何ですか?
うーん、一番いい経験をしたなと思えることは、「結婚した」こと、「子供が生まれた」こと、あとは痛かったし大変だったけど「交通事故」。具体的に、結婚は僕みたいな職業(タレント業)は周りからも、奥さんからも、勘違いされやすい。奥さんが、大変だったんじゃないかと思うんだよね。直接的な大変さはないんだけど、仕事に対して理解がないとね。夜遅い時もやっぱ多いし、泊まりで週末東京に行っちゃたりとか。
でも、うちの妻は「良くできた女房」なので、、、、(笑)、
また、タレントという仕事は、働いている姿を、家族が確認できる仕事で、ラジオ聞けばしゃべってるし、テレビつければ見えるし、イベント行けば、しゃべってるから、安心感はあるよね。
例えば、大きな企業の技術系に勤めていて、一生懸命働いているけど、お父さんの働いている内容は、家族には分からない。
そんな仕事をしている人が、いっぱいいる中で、僕は恵まれていると思っています。
あと、趣味では、「サーフィン」に出会えたこと。僕は中学3年生の時に、ウインドサーフィンとサーフィンに出会って、海から教えてもらったことも、たくさんあった。
夢中になれるものが、人生の中にあったんで、よかったな。
サーフィンを通じて素晴らしい先輩とも出会たし。
この仕事に関して言えば、絶対会えるとは思っていなかった、大好きだった、あこがれだった「矢沢永吉」さんだったりとか、「hyde」と友達になったりとか、地元の先輩「鈴木雅之」さんにかわいがってもらったりとか、また、「藤井フミヤ」さんとか「大黒摩季」さんとか普通なら会えない方々に、出会えて仲良くなれて、ありがたいなって思います。
この仕事こそ、一番いい経験を毎日させてもらってます!!(笑)
―ありがとうございました。
――今大切だと思う事はありますか?
まず健康だね。体力的にも雰囲気的にも見た目は若いって言われているけど(笑)
48歳なので内臓に気を付け、身体はビルドアップしていかないとだめだなと思うね。
次に、人との関係がどんどん増えているので、人との繋がりが途切れないように。
不思議なもので、例えばAというクライアントと昨年契約をしてたところ、契約を止める事になったとしても、次にBというクライアントが現れてくる。自分が良い動きさえしていれば困らない。
どんどん沢山の人に会ったり、頭を使ってアイディアを出していけばよい。
やっぱり健康と、自分の止まらない動き、動く事を大切にしていきたいな。
娘はまだ小学1年生で、オレが60歳の時に20歳になるから絶対止まれないんだよね。
生涯現役でいないといけない。その為には健康が一番大事。死んだら終わりだからさ。
――今までの事とかぶってしまうかもしれませんがDJを目指すきっかけは?
芸能プロダクションに入っていて裏方もやってきた。その前の学生時代は、ショーパブで働いていた。人前で喋るのが得意だった。
自分の人生を振り返ると、幼稚園のお遊戯会や七夕会で司会をやり、小学校の運動会の時は校内放送をやり、先生に言われて指揮者をやった事もある。今の仕事に就くための準備期間が子供の時からあったと思う。
大人になりプロダクションにいた頃は、芸能界の仕組みが見えてきて、お金が儲かる仕事の流れもわかってきた。そんな頃、交通事故で1年休む事になって、本を読みながら過ごしてた。その頃バブルが弾けてしまい、務めていた会社が無くなり、仕事のスケジュールがうまらなくなった。自分は喋って稼ごうと思っていた、ちょうどその頃
TVの仕事の話が舞い込み、27歳の時に初めて親元を離れて、東京を出て名古屋に来た。「30歳までに喋る仕事で稼げなかったら東京に帰ろう」と思いながら。
会社員なら月30万や40万の稼ぎ。でも喋る仕事なら月100万も夢ではない。
当時、自分調べで、名古屋の男性タレントで活躍している方が多くない、ということは、チャンスがある!!と信じ、勝負をかけた。
東京人だけど名古屋人みたいにやってやろう。勝算はあった!!
――では最後の質問にいきたいと思います。学生の間にした方が良い事はなんですか
友達付き合いも大事だし、社会に出る前にアルバイトとかで、1回社会に出ると良い。
アルバイト先に嫌な上司がいるとか、性格が合わない先輩がいる環境で経験すれば、乗り越える術を知っておける。学生の間は、仲間を作っていっぱい遊び、恋もして、少しだけ社会に出る準備として、アルバイトをすると良いんじゃないかな。
良い先輩や良い仲間は、絶対財産になるからね。
オレのアルバイト時代には、名刺の渡し方や、偉い人と同席する場合の席の着き方を、現場で先輩から教わった。アルバイトでの経験は、無駄など全く無いから、どんな失敗でも。
全部プラスになるから。パソコンでいうとメモリがどんどん増えていく感じだからね。
―ありがとうございました-