朝井 リョウ(小説家)
1989年、岐阜県生まれ。
2009年『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
11年『チア男子!!』で第3回高校生が選ぶ天竜文学賞受賞。
12年『もういちど生まれる』で第147回直木賞候補。
13年『何者』で第148回直木賞受賞。
14年『世界地図の下書き』で第29回坪田譲治文学賞受賞。
最新刊は2015年4月発売予定の『武道館』(文藝春秋)。
ーー朝井さんは今現在、兼業作家として活躍されていますが、まず作家になろうと思ったのはいつですか?またそれはどんなきっかけがあって決意したのですか?
「なろう」という意識はなく、子どものころからぼんやり「人生のうち、自分はきっといつか作家になっているんだろうなあ」と思っていました。
幼少期から、書くことだけはずっと飽きずに100%楽しいままだったからです。
その中で19歳のときに新人賞をいただきました。
なので、決意をするきっかけというものは、正直ありません。ご期待に添えない返答で申し訳ございません……。
ーー大学生の時に作家デビューされたと伺っておりますが、朝井さんはどんな大学生活を送りつつ、作家デビューされたのですか?
周囲の友達と全く変わらないような、すなわち授業、サークル、バイトで構成された日々を送っていました。
小説を書くことは幼稚園に入る前からデビューまでずっと続けていたので、他の学生を違ったことといったら、日々起きたことを詳細に記憶していこう、という意識を抱いていたことかもしれません。
何をしているときも、「この日をいつか書くかもしれない」という思いが、心の中にずっとありました。
ーー20歳の誕生日を迎えられたとき、何をしていましたか?
バイト先から当時住んでいた練馬のアパートへ帰る途中だったと記憶しています。
ーー20歳のころ、何を考えて大学生活を送っていましたか?
20歳のころはすでに小説家になっていたので、とにかくエンタメの世界でどうやってのぼりつめていくか、次は何を書くか、とそればかり考えていました。
純文学に10代、20代の書き手は多いですが、エンタメではなかなか少なかったので、絶対に自分はエンタメの世界で名を挙げたいと思っていました。
ーー20歳のころから今のような兼業作家になることを考えていましたか?
考えていました。
ーーなぜ、作家一本で生きるのではなく、兼業作家という道を選んだのですか?
そのきっかけになったような出来事がございましたら教えてください。
きっかけになったような出来事は特にありません。大学を卒業したら就職をするのが平凡な自分の人生であり、小説家になるという夢がかなうタイミングが思ったより早かっただけ、という印象でした。
また、「社会不適合者こそ表現者」という風潮があまりにも嫌いだったことも影響していると思います。サラリーマンをしながらコンスタントに作品を発表する姿で、そのような幻想を抱いている表現者志望のプライドをへし折りたかったという思いもあります。
最後に、いまはどの賞でデビューをしたって、編集者から「今の仕事をやめないでくださいね」と言われます。作家一本で食っていくということは、それほど難しいことなのです。
ーー10代から20代で変化したことはありますか?
私は2015年3月時点でまだ25歳なので、なんとなく、まだ10代のような気持ちで過ごしているところがあります。28歳,29歳ごろになってやっと、「20代と10代はこういうふうに違っていたな」と振りかえることができるのかなと思います。
身体的には変化したことは多くありますが(体重等)、精神的には実は何も変わっていないような気がします。
ーー学生をしながらの制作活動と仕事をしながらの制作活動とでは大きく変わったことはありますか?
単純に時間がなくなりましたが、その分集中力は増したように思います。
書くものの内容に関しては、そのときそのときに気になったことが起点になっているので、生きていればその分だけ変わっていきます。
ーー20歳の時や、学生時代に後悔していることや、失敗したことはありますか?
学生時代の後悔は特にありません。小中高大と本当に楽しかった記憶が多いです。ただ、読書はどれだけしても損にはならないので、もっとしておけばよかったと思うこともあります。
また、学生になる前から書いていたので、何をしていてもどこか冷静に「今、このときのことを覚えておこう」という意識が働いてしまい、100%何かに意識を没入させることがなかったように思います。それはある意味、失敗だったかなと思います。
ーー朝井さんの中で「20歳のころ」は人生の中でどんな位置づけですか?
19歳から20歳になる、というだけで1冊の本が書けたので(「もういちど生まれる」という作品です)おそらく人生で最も「今、このときのことを覚えておこう」と思っていたのだと思います。もしかしたら今後29歳から30歳になる、というだけで1冊書くかもしれないですが……。
ーー私は将来教師を目指しているのですが、朝井さんには影響を受けた学校の先生はいらっしゃいますか?いらっしゃいましたら、何人でも構いませんので教えてください。
小学校六年生のときの担任の先生は、私の書いた長編小説を初めて読んでくださった方です。先生が使う赤ペンではなく、おそらく家にあったのだろう黒いペンでびっしり感想を書いてくださり、「先生、としての時間じゃないときに書いてくれたんだ」と感激したことを覚えています。
中学校二年生のときの国語の担任の先生は、思春期まっさかりの私がクラスの名簿を使用して書いてしまった「バトル・ロワイアル」を唯一、「おもしろい」と言ってくれました。名簿にある生徒全員で殺し合いをするという話だったので、他の先生たちはそれだけで怒っていたのですが、国語の先生だけは最後まで読んでくれました。原稿用紙521枚にも及ぶのに、です。
高校三年生のときのクラス担任の先生は、卒業式のあと、最後のホームルームで「自分が教師になったのは30歳のころで、それまでは男に食べさせてもらっていた、つまりニートだった」と話してくれました。「先生」には、「先生」になる前の時間が膨大にある、という忘れがちな事実をその先生は教えてくれました。ある一点から見ただけではその人のことをなにもわからない、というあのとき抱いた感覚は、小説の執筆にも活かされています。
ーー朝井さんは小学校から高校の間に経験してよかった活動(部活や生徒会、応援団等)はありますか?
中学校で生徒会長、高校で応援団長を務めましたが、この経験によって損したことは人生で一秒もないと思っています。また、中学2年生のときにカナダへ2週間だけホームステイをしたのですが、早い段階で「日本以上に大きな国がこの世界にはたくさんある」と知ることができたのはよかったと思います。
ーー大学ではダンスサークルに所属されていたと伺っておりますが、なぜ高校時代の部活動であったバレーボールでもなく、読書や小説に関わるようなサークルでもなく、ダンスサークルだったのですか?
文章を書くことはアウトプットだ、と認識していたので、文章を書くこと以外からインプットすることを意識的に行っていました。また、「小説を書くってことは本が好きなんだね、文化系なんだね」と、思考を止めたような質問をしてくる人が好きではなかった、ということも影響していると思います。「作家」「小説家」という想像からはみ出たところにいたかったのです。
ーー直接の関わりがあった訳ではないのですが、私と朝井さんは同じ大垣北高校を卒業し、バレーボール部に所属していたということで、大垣北高校やバレーボール部が朝井さんの人生や小説に強く影響したことはありますか?
デビュー作となった「桐島~」はまさに北高バレー部時代をモチーフに書いた話なので、当時見えていた景色や感じていたものは影響していると思います。バレーボールはいまでも年に1回、大会に出ているくらい好きなスポーツです。団体競技の悪いところ、良いところはすべて詰まっているような気がして、いつか小説で書きたい競技のひとつです。
ーー朝井さんが直木賞を受賞されたとき、私は高校生で、朝井さんの母校でもある大垣北高校で母校の先輩の活躍に先生や友人ととても喜んだ記憶があります。朝井さんは直木賞を受賞することを予想できていましたか?
いつか受賞したいと思っていましたが、あのタイミングだとは思っていませんでした。直木賞は中堅に与えられる賞だといわれています。私は当時デビュー4年目、たったの6作めでした。また、就活やSNSなど若者文化に焦点を当てた作品だったので、選考委員の方々には理解を示していただけないかもしれない、と思っていました。
ーー朝井さんの小説は、例えば『桐島、部活やめるってよ』では、タイトルにある桐島が全く登場しなかったり、普通に時間の流れで物語を進めるだけではなく、登場人物それぞれの視点を描く形式だったりと他にはあまり多くない少し不思議な小説、という感覚が得られます。『何者』でツイッターが登場するのにも驚きました。このような技法はどのようにして思いつくのですか?
不在の人物について周囲が語る技法は古くからミステリ等でよく見られますし、ツイッターが出てくるというのも、日記の文章が出てくる小説などの進化版といえます。私がしていることは決して新しいわけではなく、昔から変わっていない土台に現代のアイテムを装飾しているようなことなのだと思います。
ーー最後に、私はあと半年も経たずに20歳になるのですが、朝井さんが思う20歳のうちにやっておくべきことなどは何かありますか?
20歳を過ぎると、夢をかなえるうえで最もパワーになると思われる「根拠のない自信」を手に入れにくくなるような気がします。20歳になるまでに、どんなフィールドでもいいので、自分の中に確固たる「根拠のない自信」を形成しておくと、その自信がダメダメな自分をどこまでも引っ張ってくれると思います。